日本人の奇妙な冒険――『アメリカ彦蔵自伝(1)』

アメリカ彦蔵自伝(1)』
浜田彦蔵(1850) . The Narrative of a Japanese (中川務・山口修(訳) (1969) . アメリカ彦蔵自伝(1) 平凡社)

 

本書の構成

本書はアメリカ彦蔵こと、浜田彦蔵、幼名を彦太郎と言う江戸・明治時代の人物の自伝です。
鎖国下にあった当時の日本に生まれた彼は、13歳で乗りあった船が難破し、二ヶ月の漂流を経てアメリカの商船に救助。そしてそこから奇妙な運命を辿る事となるのですが、本書は彼が記した自伝の分冊の上巻となります。

 

彦蔵、アメリカに渡る

生まれ落ちた漁村と母の姿、そして船が難破するまでは江戸時代の日本が舞台となるのですが、自伝とは言っても英語で記され、米国民に向けて書かれた物なので日本の風土や伝説、そして彼が立ち寄った事のある観光名所(金刀比羅宮厳島神社)などの解説を少しの誇張を交えて描かれています。

 

そして、江戸へと向かう船で難破し、長い漂流を経てアメリカの商船に救助、船員達と共にアメリカの地を踏むこととなります。
彼は幸運にも恵まれ、税関長であるサンダースに引き取られる事によって学校において教育を受ける事となり、洗礼をも受ける事により、ジョセフの名を得て名目通り米国民となったのです。

 

幸運と不運と

しかし、折は恐慌の時代。1857年恐慌によって財を大きく減らしたサンダースは、これ以上彦蔵に教育を続けさせてやれる余裕がなく、彼もまた庇護のもとで安寧としている事を良しとせず、努め口を探すために奔走している中、ある上院議員の手引きによって、職を求めてワシントンに赴く事となりました。

ワシントンに赴いた彼は、日本人として始めて当時の米国大統領フランクリン・ピアースと面会し、その時の様子をこう記しています。

 

彦蔵、大統領と会う

「もし彼がそんなに大人物であるのなら、どうして家来が居ないのか、出入り口を兵隊が守っていないのか、もし彼が国家の首長ならば、私の老紳士は、役人であるにしても、こんなに簡単な作法で近づいていって、いっしょに腰を掛け、まるで対等の人のように話し合うことなんてことは出来ないだろうに」

また彼は、ピアース大統領をおだやかで好ましい人物だと評しています。
しかし、目当てであった公職に就く事は出来ず、職を求めて結局当時開国したばかりの日本に向かう事となったのです。

 

漂流民達

その道中、海外に在留している日本人の記述を多く出てきています。多くは難破していた所を救われたばかりの者だが、香港の力松、上海の音吉などのように、既に現地に根を下ろしている人物も少なくありません。

 

兄との再開

こういう逸話も紹介されています。生き別れた兄が今や領事館の通訳となった彦蔵を訪ね、訪れた際の事です。
彦蔵が領事に兄を紹介すると、彼は握手を求めて手を差し出した。しかし、兄はその巨大な手や風采に恐れを成してしまう。
しかし、握手が日本で言うお辞儀である事を彦蔵に告げられると、すっかり安心して握手をしたという。

これから分かるのは、細かい文化の差異と、それを仲介する彦蔵の立場。それに、一農民であった彼が教育を得る事により、アメリカ市民として公務に服する事が出来るようになったという奇妙な運命です。
彼がもし、遭難という目に遭っていなければ彼は一農民としてその生涯を終えていたであろう事は想像に難くありません。

 

通訳としての彦蔵

しかし、今や彼は大使館付きの通訳という立場から、開国当初の日本、そして幕府や各国政府の人々と交わる重要な役目を得たのです。
下関戦争におけるアメリカの行動にも関知し、ワイオミング号に同乗して戦闘にも参加しています。

大きな出来事が無くとも、当時の幕府と朝廷の立場の分裂による攘夷思想や数々の事象において、日本人である彼に多くのアドバイスを求めるケースも少なくなく、例としては、1859年におけるロシア海軍軍人殺害事件において、ポポフ提督に同行し、神奈川奉行との会談に参加、通訳としての役目を果たしています。

歴史上ではあまり大きく扱われる事のない彼ですが、自伝という点を差し引いても知られているより多くの役目を果たした事は想像に難くない。そんな印象を受けました。

混乱の世紀――『南朝全史 大覚寺統から後南朝まで』

南朝全史-大覚寺統から後南朝まで (講談社選書メチエ(334)) 
著:森 茂暁

 

全体の構成

全史という言葉の通りに通史となっている本書の構成としては、南朝という存在を規定するために大覚寺統の発足から南北朝時代、そして後南朝と呼ばれる時代を貫いて描く形となっています。
特に、大覚寺統という存在の入り組んだ構成はかなりわかりやすく整理されて説明されていると感じ取りました。この辺りは教科書を読んでいても割と何が何やら、という印象なんですよね。
全体を捉えながら人物を中心に追っていくという構成のお陰でしょう。

 

先行研究とは異なる少し立ち位置

面白かったのが、当時の存立に強い影響を与えていた鎌倉幕府の立ち位置です。
皇位問題は「聖断」(天子の裁断)で行うように、という鎌倉幕府のスタンスは持明院統大覚寺統との対立の中で重んじられる事はなく、否が応にも皇位継承問題に巻き込まれていく事となります。
それが持明院統の幕府へと接近、そして大覚寺統のそれに相反する幕府とは距離を置いた独自の道を行くスタンスの確率へと繋がり、遠因としては鎌倉幕府の滅亡へと繋がるという観点は面白く読む事が出来ました。

 

四人の天皇

建武の新政を経て、南朝が成立した後は著者が収集した論旨と称される天皇の意思を示した文書を元に南朝の四人の天皇の行動の足跡を辿る事となり、後醍醐天皇以外はその後を継いだ後村上天皇の精力的な活動を行っている姿が浮かび上がってきます。
もちろん、その背景としては九州における征西府の存在があるのですが、この辺りにあまり紙面が割かれないのは通史ですから致し方無いでしょう。

 

もう一つの政権としての南朝

歴史的資料として「新葉和歌集」を用いている事も興味深い所です。この「新葉和歌集」の歌会の参加者や詠まれた時期から南朝の構成メンバーや南朝で行われたイベントを読み解く形を取っています。
この事から、意外に分厚い構成メンバーの層や略式であれど各種の儀式が吉野でも行われていた姿を思い浮かべる事が出来るのは、著者の思い通りといった所でしょうか。